津城跡



伊勢の国安濃津、藤堂高虎32万3,950石の城下町

 織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。以後、津は城下町として発展してきました。本丸を中心に出丸を置き、幾筋かの河流を城の外堀に取り入れたもので、低湿地ながら防御には堅固な城でした。
 その後、藤堂高虎が四国伊予の板島(宇和島)から移封、慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。また。、城の周囲に武家屋敷をつくる一方で、伊予から連れてきた町人たちを岩田川の南に住まわせて、伊予町をつくりました。
 さらに高虎は、参宮街道を城下に引き入れたり、城の東に堀川を切り開いたりして津の基礎づくりを行いました。2代藩主高次はそれをもとに城下を整備、明治維新まで津は32万石の城下町として栄えてきました。
 明治になっても待ちはほとんど旧城下町のままでしたが、明治の終わりごろになって外堀が埋められ、新しい道や町が作られるようになってきました。現在では本丸・西の丸・内堀の一部を残すのみとなりましたが、復興された角櫓の三層の白壁に老松がはえ、苔むす石垣とともに昔を偲ぶことができます。